日本人の目が生き生きしていない理由 海外の調査や講演から帰ってすぐに気になるのは日本人、特にサラリーマンの目が死んでいることである。この本は、その原因を解き明かす。
上下巻合わせて700Pに及ぶ現代日本分析は、読むのに少々骨が折れるかもしれないが、膨大な取材と資料をもとに社会科学的にマクロな日本の姿をあらわにし、今だその輝きを失わない名著。日本人全員が必読である。
ウォルフレンは言う。この国の人々を不幸にしているのは「目に見えない支配システムである」と。
日本人がなぜこのような被抑圧意識にさいなまれているのか。それに対する答えがこの本だ。
日本全国津々浦々まではりめぐらされた政治的システムと、それを深層で受容し、支えている一般庶民の偽善の姿がえぐりだされる。江戸期に完成し、第二次大戦を経た後も連綿と受け継がれてきた「お上意識」のエートスそのものが暴かれるのだ。
実はそのシステムを潜在的に支えているのは我々一般大衆である、ということを。
目に見えない支配階層・官僚の作り上げる虚構のシステムを体系的に論じたのも非常に大きな功績で、菅直人をはじめとする多くの政治家達が「霞ヶ関霞ヶ関」というようになった背景にもおそらくこのシステム論の影響を受けてのことだろう。
なぜなら、それまで日本人政治家の中に、官僚はコントロールするものであって国民の下僕である、というような発想をする者はほとんどいなかったからである。それどころか、多くの政治家が官僚出身者であった。
この本の他に、「人間を幸福にしない日本というシステム」という名著もある。おすすめである。
受けてきた教育に対する疑問。 最近なぜか自分が受けてきた教育、常識といったことに何か感じることがあり、アマゾンのリンクをたどりこの本に出会った。
ネットとアマゾンがなければ手にすることはなく感謝しています。
知らないまますごしていた、または知らないほうが能天気に幸せだったのか?
読んでいて脳みそがナイフでえぐられるようなショックを受けた。
日本の権力構造はどうなっているのか?我々はどのように「養護」されているのか?
確かに客観的に「外人」の視点を自分で持ち、自分の頭で考えてみると思い当たることばかり。
日本も北朝鮮と対して変わりがないことに気づいてしまいます。
受けてきた義務教育での、制服、坊主強制、体育祭での行進、組み体操、合唱コンクール、校歌斉唱、校旗掲揚、集団のシンボルとしての校章などなどすべてシステマティックに権力に服従すべく調教されていたことを思い出し、吐き気すら感じてしまいました。
我々は一部の支配階級を除いて権威に従順になるべく調教させられています。
「忠犬ハチ公」が美談とさせられているのもよくわかります。
最近では契約社員やフリーターも問題になっていますが、そりゃそうだろうよと。
権力構造が低賃金でこき使えるようにそのようなシステムを作り出し、そうなるべく教育されており、解決方法を考えることができないように「教育」されてきたんだから。
読んでいて泣きそうになった一文を最後に
教育の目的は「テクノ=メリトクラート(試験評価で選抜された専門技術者)制には必要な、士気と技術を持った労働者階級を養成することである。テクノ=メリトクラート社会には、厳格な身分制と細かい調整の行き届いた組織社会という環境の中で、着実にその能力を発揮できる社会意識を持った個人が必要だからである」
自分の人生や幸福に何の疑問を抱かない人は読まないほうがいいかもしれないです。
池田大作井伊直弼始皇帝 野党の問責は福田内閣に対するイジメ・・・?アンタらずっと国民をイジメて
きたじゃないか!!秋葉原通り魔事件も自公のせ・き・に・ん!!!
依然として価値を持つ 文庫版が出版されて10年以上経つ。が、依然としてその権力構造に関する記述は意味を持つ。誰しも海外に住んで感じるのは、日本のマクロの仕組みのインチキさ加減だ。(逆に製品などミクロの面では、日本の「モノ」が進んでいるようだが)
フランスの社会事象を例えば「暴動」の一言で済ませる大手メディアは、右と言うよりは、アドミとして機能を果たしているに過ぎない、とも言える。健全な権力と民衆の対立、等とは死んでも書かないところにミソがある。
2006年現在言えるのは、受け皿となる政党が弱い事、即ちまだ有権者側の意識が深耕されていない点だ。あるいは、その意識に十分応えられるほど、政党側が育っていないのかもしれない。修羅場をくぐって真の意味での別の形で政権を担える政党が育たないと、日本の社会は救われない。
官僚とその取り巻きによるマインドコントロール機能は病巣と言える程、根深く、暗い。日本にいるというのは「マトリックス」の中にいる様なものではないか。メディアは差し詰め「エージェント」か。サブカルチャーが海外から持てはやされても、中にいる一般の日本人は幸せを感じるか、どうか。
映画による例えはともかく、日本の社会の本質が、ここ10年でそうそう大きく変わっていない事に気がついてもいいと思う。それを知るには、この本は格好だと思う。難解に感じるかもしれないが、それは恐らく著者が読者を馬鹿にしていないから、あるいは、踏むべき手順を踏んでいるためかもしれない。読むのに忍耐を要するかもしれないが、その忍耐は報われると思っていい、と私は言いたい。
日本の本質を分析した最高傑作 先般の郵政民営化法案の是非を問う衆院選挙は自民党の圧勝に終わった。今回の選挙は、今まで政治に興味がなかった無党派層を中心とした有権者が新聞を始めメディアを総動員した小泉劇場型選挙戦略にまんまと乗せられた感が否めない。西部進氏の言及によると、選挙権は試験をパスしたものだけに与えるべきだ。そうすれば、自民党は間違えなく選挙では勝てない、とのこと。つまり、「衆愚政治」よりも「哲人政治」のほうが政治家も好き勝手できない、という事ではないか。 菅直人氏は有権者は催眠術にかかっている、と発言し、武部幹事長は「その発言は国民を馬鹿にしている」と批判していた。しかし、ウォルフレン氏の著書を読んだ人ならば、どちらが国民を馬鹿にしているかが判るだろう。 自民党と緊密な関係にある某大手広告代理店の旗振りにより、メディアを通じ、国民皆愚民化政策の成功で、頭の働きを鈍化させられた国民は、政治的な想像力を駆り立てる能力がなくなってしまった。物事の本質を見極められていれば、今回のような「大いなる茶番」はなかったに違いない。 政治家の歴史を振り返れば、必ずしも掲げた政策が実行されてきたとはいえない。自民党の美辞麗句で庶民は「今度こそはやってくれる」と、根拠のない期待(勘違い)をしても、結局、今まで通り喜ぶのはトップアドミニストレーター達と満腹感がない貪欲なアングロサクソンだけだろう。 民営化反対議員の落選の弁は、「歴史が証明するだろう」。洋の東西を問わず歴史は繰り返されるという事実に鑑みれば、今後20年以内がその時かもしれない。たとえ、ウォルフレン氏が何度となく自著で警告を発しても、今回の茶番を見る限り、その効果は無きに等しいと言わざるを得ないだろう。
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